2015年12月28日
九州
初めて九州に来た時にやったことは滝巡りでも棚田巡りでも一之宮巡りでも国分寺跡巡りでもなく、南北朝時代(特に征西府関連)の史跡巡りだった。
2015年12月27日
積み重ね
他の人から見たら本当に下らないことやホンの些細なことで幸せを感じたり、ウレシくなったりする。だから、これからもそういった小さいことを積み重ねていかねば…。
空しい
昔、夢を見ていた頃に聴いていた歌を、不意に今改めて耳にしたりすると「こんなはずじゃなかったのに」とか「一体何をやってんだろ」とか「何でこんな不本意な人生になっちゃったんだろ」とか「オレはこのまま終わるのか」とか空しい気持ちになる。
どんなに悔やんだって…。
今までのことはどんなに悔やんだって、もう一度やり直すことはできないんだから、これからどーするかだよな。
2015年12月25日
仏塔マニア
私が知る限り、日本全国の五重塔・三重塔・十三重塔、計128基すべてを訪ねたのは私を含めて6人。
私は20代の後半から本格的に仏塔巡りを始めたが、当時は仏塔に関する情報は世にほとんど出回っていなかった。
どんなことでもいい、少しでも仏塔に関することを知りたいと思った私は日本全国の仏塔を訪ね歩いてその様子をまとめた本を自費出版していた著者の方に連絡をして自分の仏塔に対する想いを吐露した。
すると『君も知っての通り、仏塔を追い掛けている人はみな高齢者ばかりだ。私も老い先が短いが、家族は私のやってきたことに興味も関心もない。私がやってきたことは私一代で終わるものだと思っていたが、是非君のような若い人に私がこれまでやってきたこと、収集した資料などを引き継ぎたい』と言われた。
その後、その方とは何度となく連絡を取り合っていたが、結局お逢いすることなく、いつしか音信不通となってしまった。
何であの時、すぐに逢いに行かなかったのだろうと今でもたまに「ふと」そんなことを考える。
まー、仏塔マニアとしての自分に自信がなかったからなんだろうな。当時は五重塔はすべて目にしていたけど、三重塔の方はまだ全然で知識に乏しかったからな。
もし、今、逢うことができたなら、当時とは違って少しはマシな話し相手になれるだろうに。
あの人は一体オレに何を引き継ぎ、何を託したかったんだろう。
若いと言われたオレも気が付けば40代。
思い返せば当時、滝も温泉も仏塔も駆け出しのオレに対してその世界の先駆者たちはいつだって優しく接してくれたっけな。
今のオレはどーなんだろう。
私は20代の後半から本格的に仏塔巡りを始めたが、当時は仏塔に関する情報は世にほとんど出回っていなかった。
どんなことでもいい、少しでも仏塔に関することを知りたいと思った私は日本全国の仏塔を訪ね歩いてその様子をまとめた本を自費出版していた著者の方に連絡をして自分の仏塔に対する想いを吐露した。
すると『君も知っての通り、仏塔を追い掛けている人はみな高齢者ばかりだ。私も老い先が短いが、家族は私のやってきたことに興味も関心もない。私がやってきたことは私一代で終わるものだと思っていたが、是非君のような若い人に私がこれまでやってきたこと、収集した資料などを引き継ぎたい』と言われた。
その後、その方とは何度となく連絡を取り合っていたが、結局お逢いすることなく、いつしか音信不通となってしまった。
何であの時、すぐに逢いに行かなかったのだろうと今でもたまに「ふと」そんなことを考える。
まー、仏塔マニアとしての自分に自信がなかったからなんだろうな。当時は五重塔はすべて目にしていたけど、三重塔の方はまだ全然で知識に乏しかったからな。
もし、今、逢うことができたなら、当時とは違って少しはマシな話し相手になれるだろうに。
あの人は一体オレに何を引き継ぎ、何を託したかったんだろう。
若いと言われたオレも気が付けば40代。
思い返せば当時、滝も温泉も仏塔も駆け出しのオレに対してその世界の先駆者たちはいつだって優しく接してくれたっけな。
今のオレはどーなんだろう。
どうせオレなんか…
いつも『どうせオレなんか…』というネガティブな心との戦いである。
どんなに悔やんだって…。
今までのことはどんなに悔やんだって、もう一度やり直すことはできないんだから、これからどーするかだよな。
2015年12月24日
山の中は危険がいっぱい
昔は遭難して死んだというニュースを見ると「死んだヤツがバカなんだ」とよく思ってたけど、最近は一歩山の中に入ったら死と隣り合わせで決して他人事じゃないって思うよーになった。っていうかオレも遭難死したいという抑えがたい気持ちが常にそして確実にある。最後に好きなことをして「そして」遭難死する。ある意味夢だな。
もしそーなったら「あいつはサイコーの人生で何の悔いもなかったと思うよ!」って証言して下さいませ!
実際、今年も一度死にかけたし…。
〜その時の記録〜
実は某滝の帰り道で沢で濁流に足を取られて4〜5m流された。
その先には大岩があり、オレは大岩の下へと吸い込まれて行った。完全に頭まで水没してブクブクとなったので、このまま水死するんだと覚悟を決めた。
(あ〜水死かよ…。水死だと絶命するまで相当に苦しいんだろうな…。イヤだなぁ〜。はぁ〜オレの遺体発見されるかな?まー、でもこんなところに横浜ナンバーの車が何日も放置されてれば誰かがいつか気付くか…)ゆっくりと流れる時間の中でそんなことを考えていた…。
しかしながら、大岩の下はかなり大きな空間になっていて腰から上くらいは水の上に出ていたので、その後火事場のくそ力で何とかそこを脱出することができた。
が、濁流に流されて大岩の下に巻き込まれて行った時にはオレの人生は完全に終わったと思った。なぜあの状況で流されて何で死ななかったのか、何であそこから脱出できたのか、何で今生きているのかとても不思議で未だに頭の中の整理ができていない。
という感じで1週間くらいは何で生きているのか不思議で不思議でしょうがなかった。身に付けていたものはすべて壊れるか喪失をした。
〜まとめ〜
死にそうになったとか、危険な目にあったというのは恥ずべきことで、決して武勇伝ではありません。山の中には常にそういった危険が少なからずあります。リアルな知り合いの滝仲間で山から帰って来なかった人もいます。それでも山の中に入っていくのはやっぱり滝が好きだからなんだろうなぁ〜。
もしそーなったら「あいつはサイコーの人生で何の悔いもなかったと思うよ!」って証言して下さいませ!
実際、今年も一度死にかけたし…。
〜その時の記録〜
実は某滝の帰り道で沢で濁流に足を取られて4〜5m流された。
その先には大岩があり、オレは大岩の下へと吸い込まれて行った。完全に頭まで水没してブクブクとなったので、このまま水死するんだと覚悟を決めた。
(あ〜水死かよ…。水死だと絶命するまで相当に苦しいんだろうな…。イヤだなぁ〜。はぁ〜オレの遺体発見されるかな?まー、でもこんなところに横浜ナンバーの車が何日も放置されてれば誰かがいつか気付くか…)ゆっくりと流れる時間の中でそんなことを考えていた…。
しかしながら、大岩の下はかなり大きな空間になっていて腰から上くらいは水の上に出ていたので、その後火事場のくそ力で何とかそこを脱出することができた。
が、濁流に流されて大岩の下に巻き込まれて行った時にはオレの人生は完全に終わったと思った。なぜあの状況で流されて何で死ななかったのか、何であそこから脱出できたのか、何で今生きているのかとても不思議で未だに頭の中の整理ができていない。
という感じで1週間くらいは何で生きているのか不思議で不思議でしょうがなかった。身に付けていたものはすべて壊れるか喪失をした。
〜まとめ〜
死にそうになったとか、危険な目にあったというのは恥ずべきことで、決して武勇伝ではありません。山の中には常にそういった危険が少なからずあります。リアルな知り合いの滝仲間で山から帰って来なかった人もいます。それでも山の中に入っていくのはやっぱり滝が好きだからなんだろうなぁ〜。
2015年12月23日
神代三山陵
〜情報求む〜
古事記・日本書紀によると、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から高千穂に天孫降臨し、以後、三代(いわゆる日向三代、神代三代)は日向で過ごし、曾孫の神武天皇が日向から東征して大和に遷られたとしている。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を含む三柱が南九州で亡くなったとすれば、その墓も当然南九州に残っていなければならないはずである。
がしかし、神代三代は神と人間の中間にいるという設定であるので、史実性はない(または低い)という考え方も当然にある。もともと神話は作り話なので「神代三山陵」などは存在しないはずだという考え方は至極当然で最もだとも言える。
このような考えからすれば今さら神代三山陵がどこに所在していたのかを考察することなどは無意味なことと言われるかも知れないが、日本神話に登場する神々(人々)の墓や日本神話に起因する伝承地を訪ね歩くことは、世界最古の国ながらその成立過程が曖昧模糊としている我が国発祥の謎に迫るようで実に実に興味深く、楽しいものだった。
私的には神代三山陵の伝承地はあらかた訪ねたつもりだが、もし他にも神代三山陵の有力な伝承地がある!ということをご存じの方がいらっしゃいましたら、是非情報をお寄せ下さいませ!
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1011.html
古事記・日本書紀によると、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から高千穂に天孫降臨し、以後、三代(いわゆる日向三代、神代三代)は日向で過ごし、曾孫の神武天皇が日向から東征して大和に遷られたとしている。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を含む三柱が南九州で亡くなったとすれば、その墓も当然南九州に残っていなければならないはずである。
がしかし、神代三代は神と人間の中間にいるという設定であるので、史実性はない(または低い)という考え方も当然にある。もともと神話は作り話なので「神代三山陵」などは存在しないはずだという考え方は至極当然で最もだとも言える。
このような考えからすれば今さら神代三山陵がどこに所在していたのかを考察することなどは無意味なことと言われるかも知れないが、日本神話に登場する神々(人々)の墓や日本神話に起因する伝承地を訪ね歩くことは、世界最古の国ながらその成立過程が曖昧模糊としている我が国発祥の謎に迫るようで実に実に興味深く、楽しいものだった。
私的には神代三山陵の伝承地はあらかた訪ねたつもりだが、もし他にも神代三山陵の有力な伝承地がある!ということをご存じの方がいらっしゃいましたら、是非情報をお寄せ下さいませ!
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1011.html
2015年12月22日
不用意・不注意
不用意、不注意ってよく言うけど、普段そんなに注意深くは生きてねーよ!
ない人生
ついてない、運がない、輝いてない、つたない、儚い、ロクなことがない、切ない…。ないない尽くしの人生を何とか好転させたい。
2015年12月21日
甥っ子A
週末に妹が甥っ子ABCDを連れて家に来ていた。帰り際に甥っ子Aが『ぼく、冬休みおんちゃんと一緒に旅行に行きたいなぁ〜』と言うではないか!すると妹が慌てて『おんちゃんと旅行に行ったら毎日車で寝るんだし、途中で帰って来たくなっても帰ってこれないんだよ、本当にそれでもいいの!』と甥っ子Aに言ったものの、甥っ子Aは『それでも一緒に行きたい!』と言うではないか!おぉ!感涙ものだったが、大人の事情というか、大人の配慮でお流れになったが、おんちゃんは甥っ子Aにそーいってもらっただけでも幸せです。
自分と世の中
自分も変わっているおかしなヤツだと思うが、世の中も変わっているし、おかしなことばかりだと思う。
2015年12月20日
できることとできないこと
好きなことは得意なことはできるけど、キラいなこと不得意なことは徹底的にできない。