古事記・日本書紀によると、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から高千穂に天孫降臨し、以後、三代(いわゆる日向三代、神代三代)は日向で過ごし、曾孫の神武天皇が日向から東征して大和に遷られたとしている。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を含む三柱が南九州で亡くなったとすれば、その墓も当然南九州に残っていなければならないはずである。
がしかし、神代三代は神と人間の中間にいるという設定であるので、史実性はない(または低い)という考え方も当然にある。もともと神話は作り話なので「神代三山陵」などは存在しないはずだという考え方は至極当然で最もだとも言える。
このような考えからすれば今さら神代三山陵がどこに所在していたのかを考察することなどは無意味なことと言われるかも知れないが、日本神話に登場する神々(人々)の墓や日本神話に起因する伝承地を訪ね歩くことは、世界最古の国ながらその成立過程が曖昧模糊としている我が国発祥の謎に迫るようで実に実に興味深く、楽しいものだった。
私的には神代三山陵の伝承地はあらかた訪ねたつもりだが、もし他にも神代三山陵の有力な伝承地がある!ということをご存じの方がいらっしゃいましたら、是非情報をお寄せ下さいませ!
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1011.html