2016年02月29日
滝業界への感謝の気持ち
やっぱりオレをここまで育ててくれた「滝」そして「滝業界」そして「滝仲間」にはいつかちゃんと恩返しをしなくちゃな。少なくとも滝業界への感謝の気持ちはいつも心に止めておかねば。
2016年02月28日
ちょっと思ったこと。
某従兄弟の兄ちゃんの結婚式に行くつもり満々だったのに参加することができず…。残念だ…と思っていたところ、あっちの親兄弟も全員出席しないらしい。親族どころか家族も全滅じゃん。
まー、その従兄弟の兄ちゃんが『再婚であること、結婚式を沖縄でやること、横須賀には年に1、2回くらいしか帰ってこないこと』など色々あるが、色々思うところもあるなぁ〜。
来月の弟の結婚式も来れない親戚が多いもんな。みんな歳を取った。おじさん、おばさんは元気じゃない人も多いし。
昔と違って、日頃の付き合いがなくてもせめて冠婚葬祭くらいは何がなんでもっていう時代でもないし、そもそも元気じゃないと遠路はるばる出掛けて行くこともできないし。
オレは友人知人や育ててくれた地域のおじさん、おばさんや仲間がまだ元気なうちに一足お先に一番乗りで旅立ちたいなぁ〜。惜しんでくれる身近な人がいないんじゃ葬儀も張り合いがないし楽しくないだろうし。
まー、その従兄弟の兄ちゃんが『再婚であること、結婚式を沖縄でやること、横須賀には年に1、2回くらいしか帰ってこないこと』など色々あるが、色々思うところもあるなぁ〜。
来月の弟の結婚式も来れない親戚が多いもんな。みんな歳を取った。おじさん、おばさんは元気じゃない人も多いし。
昔と違って、日頃の付き合いがなくてもせめて冠婚葬祭くらいは何がなんでもっていう時代でもないし、そもそも元気じゃないと遠路はるばる出掛けて行くこともできないし。
オレは友人知人や育ててくれた地域のおじさん、おばさんや仲間がまだ元気なうちに一足お先に一番乗りで旅立ちたいなぁ〜。惜しんでくれる身近な人がいないんじゃ葬儀も張り合いがないし楽しくないだろうし。
そもそもの間違い
「いいところがない」のに『いいところを見せよう』とするのが「そもそもの間違い」
ロクなことがない
最近ロクなことがない。が、『クダラナイことを考える、クダラナイことを思い付く』思考だけは残っている。
思うにオレの場合は『クダラナイこと、バカバカしいこと』を考えられなくなった時は『本当にヤバい時』だ…。
思うにオレの場合は『クダラナイこと、バカバカしいこと』を考えられなくなった時は『本当にヤバい時』だ…。
氷瀑
今年は氷瀑(滝が厳冬期に完全凍結して氷柱となったもの)を見てみようと思って『いきなり日本最大級の氷瀑を見に行くというビックプロジェクトを画策したが、結局、計画そのものが中止』となり、さらに『実際に群馬県の氷瀑4ヶ所を回ってみたものの、前日に降った雨により氷が解けて「ただの滝」になっていた』りして、一つも氷瀑を見ることができなかった。オレは氷瀑とは縁がないな…。
2016年02月27日
ひよった
昔は『この滝にチャレンジして命を落とすなら何の悔いも後悔もない』と思える滝があったが、最近では「この滝の前に立てるのならばどんな困難もいとわない!」と思える滝すらない。歳を取って情熱がなくなったのか…。できるだけ危険なことはしないしたくないと思う今日この頃。ひよったな…。
好きなことだけ
色んなことをあれこれ考えるのは面倒くさいので、好きなこと興味のあることだけを考えていたい。
2016年02月24日
2016年02月20日
確率
下手すれば…という確率と上手くいけば…という確率はどっちも似たようもんである。
やりたいこととなりたい自分のギャップ
やりたいことをやることと、なりたい自分になることは本質的に違う。やりたいことをやって、結果、なりたい自分になれたら最高なんだが…。
2016年02月19日
物議を醸す
これを口に出したら、これをネットにアップしたら『物議を醸すだろうなぁ〜』って容易に想像できることほど、「口に出し、ネットにアップ」してしまうのはなぜだろう。
2016年02月15日
2016年02月14日
決意・決心
○○をしようと思っただけでは決意・決心とは言わない。行動が伴って初めて決意・決心と言うのだと思う。
2016年02月12日
究めちゃった人生
〜最近行き詰まっているので、自分の人生について考察してみた〜
普通は興味を持っても深く掘り下げることはなかなかできないのが現実で、ましてや究めるなんて夢のまた夢のはずだと思います。
ところが私の場合、ウソみたいな話ですが、色々なことを究めてしまいました。
何を生意気なことを!と思われるかもしれませんが、私の言うそれ(究めた)は勉強して知識を深めて学問的に究めた!というものとは違います。
私の『究め方』は興味を持ったものについては全部訪ねて自分の目で見て感じて実際に体験するというものです。
例えば日本には17体の即身仏が現存しています。私が一番始めに究めた(全部訪ねた)のは即身仏でした。
続いて日本全国に22基ある江戸時代以前に造られた五重塔をすべて訪ねて究めました。
その次は律令制度下における旧国(68ヶ国)にあるすべての一之宮を訪ねて究めました。
滝や棚田にも興味を持ちました。これらは数限りなくあり、キリがないものですが『百選』というものが選ばれているので私はその百選をすべて訪ねることにより滝も棚田も究めました。
他にも日本全国の三重塔と国分寺跡もすべて訪ねて究めました。
こういうこと(究めた!)を書くと『お前ごときが究めたとはおこがましい』というようなことをおっしゃられる方もいると思いますが、私の究め方は『全部訪ねる』という手法であり、そういう意味では紛れもなく究め(全部訪ね)たのは事実です。
この他にも興味を持ったものはできる限り一つ残らず訪ねるのが今でも私のスタンスです。
が、本来であれば一生を掛けたとしてもこれらのもの(即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡)を一つだけでも全部訪ねるというのはかなり至難の技であるはずです。
それを成し遂げるためには当然ながら尋常じゃない狂気じみたことを少なからずしてきました。効率を求めて車中泊をするなんていうのは序の口で私が趣味を究めるために実践したことは親しかった友人・知人も含めて可能な限りというか、徹底して『人付き合いはしない』というものです。
人付き合いに使う時間と労力とお金があるくらいならとすべて旅に費やしていったのです。
そして色々なことを究めていったわけですが、一つ大きな誤算がありました。
こうして色々なことを究めていけば『いつか人に認められて道が自ずと開けるんじゃないか』そして『実益を得ることができるようになるんじゃないか』と漠然と思っていたものの、実際にはそうではなかったことです。
結局、色々なことを究めたところで、それは単なる自己満足で自尊心は大いに満たされるものの、実益は何もないというのが現実でした。
しかしながら、いつか道が開けると思っていた私は一生を掛けていずれ全部訪ねたいと思っていた即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡を30代にして全部訪ね終えてしまいました。
これまでの体験からすべて訪ね終えるということは私からしてみれば『その日から趣味が、そしてかけがえのない生き甲斐が目の前から消えてなくなる』ということです。
それでもまだ次から次へと興味を持てるものがあった30代の頃はよかったのですが、40代になった今、かつてのように究めたい=全部訪ねたいと思うものはありません。完全な燃え尽き症候群の抜け殻です。気力・体力・好奇心も確実に落ちてきています。
が、人付き合いを否定して、他の人と違うことを『自分の唯一の価値観』として、普通に生きることを軽蔑し、バカにして今日に至った私が今さら普通の人生を歩むことはもはやできません。
でも今のまま生きていても活路が見出だせるとは思えません。やらかしました。きっと孤独死・無縁死をするのでしょう。おそらく長生きすればするほど惨めな人生になることと思います。まー、散々不摂生をしてきたので長生きできるとは思えませんが。
いずれにしてもやらかしてしまった。もう後戻りも普通の人生を歩むこともできない…。
本当は『普通に生きて、普通に結婚して、普通に死んでいきたかったな…』
というようなことをお風呂に入ってずっと考えてた。おしまい。
普通は興味を持っても深く掘り下げることはなかなかできないのが現実で、ましてや究めるなんて夢のまた夢のはずだと思います。
ところが私の場合、ウソみたいな話ですが、色々なことを究めてしまいました。
何を生意気なことを!と思われるかもしれませんが、私の言うそれ(究めた)は勉強して知識を深めて学問的に究めた!というものとは違います。
私の『究め方』は興味を持ったものについては全部訪ねて自分の目で見て感じて実際に体験するというものです。
例えば日本には17体の即身仏が現存しています。私が一番始めに究めた(全部訪ねた)のは即身仏でした。
続いて日本全国に22基ある江戸時代以前に造られた五重塔をすべて訪ねて究めました。
その次は律令制度下における旧国(68ヶ国)にあるすべての一之宮を訪ねて究めました。
滝や棚田にも興味を持ちました。これらは数限りなくあり、キリがないものですが『百選』というものが選ばれているので私はその百選をすべて訪ねることにより滝も棚田も究めました。
他にも日本全国の三重塔と国分寺跡もすべて訪ねて究めました。
こういうこと(究めた!)を書くと『お前ごときが究めたとはおこがましい』というようなことをおっしゃられる方もいると思いますが、私の究め方は『全部訪ねる』という手法であり、そういう意味では紛れもなく究め(全部訪ね)たのは事実です。
この他にも興味を持ったものはできる限り一つ残らず訪ねるのが今でも私のスタンスです。
が、本来であれば一生を掛けたとしてもこれらのもの(即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡)を一つだけでも全部訪ねるというのはかなり至難の技であるはずです。
それを成し遂げるためには当然ながら尋常じゃない狂気じみたことを少なからずしてきました。効率を求めて車中泊をするなんていうのは序の口で私が趣味を究めるために実践したことは親しかった友人・知人も含めて可能な限りというか、徹底して『人付き合いはしない』というものです。
人付き合いに使う時間と労力とお金があるくらいならとすべて旅に費やしていったのです。
そして色々なことを究めていったわけですが、一つ大きな誤算がありました。
こうして色々なことを究めていけば『いつか人に認められて道が自ずと開けるんじゃないか』そして『実益を得ることができるようになるんじゃないか』と漠然と思っていたものの、実際にはそうではなかったことです。
結局、色々なことを究めたところで、それは単なる自己満足で自尊心は大いに満たされるものの、実益は何もないというのが現実でした。
しかしながら、いつか道が開けると思っていた私は一生を掛けていずれ全部訪ねたいと思っていた即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡を30代にして全部訪ね終えてしまいました。
これまでの体験からすべて訪ね終えるということは私からしてみれば『その日から趣味が、そしてかけがえのない生き甲斐が目の前から消えてなくなる』ということです。
それでもまだ次から次へと興味を持てるものがあった30代の頃はよかったのですが、40代になった今、かつてのように究めたい=全部訪ねたいと思うものはありません。完全な燃え尽き症候群の抜け殻です。気力・体力・好奇心も確実に落ちてきています。
が、人付き合いを否定して、他の人と違うことを『自分の唯一の価値観』として、普通に生きることを軽蔑し、バカにして今日に至った私が今さら普通の人生を歩むことはもはやできません。
でも今のまま生きていても活路が見出だせるとは思えません。やらかしました。きっと孤独死・無縁死をするのでしょう。おそらく長生きすればするほど惨めな人生になることと思います。まー、散々不摂生をしてきたので長生きできるとは思えませんが。
いずれにしてもやらかしてしまった。もう後戻りも普通の人生を歩むこともできない…。
本当は『普通に生きて、普通に結婚して、普通に死んでいきたかったな…』
というようなことをお風呂に入ってずっと考えてた。おしまい。
2016年02月10日
説明のつかないこと
説明のつかないことは嫌いだが、生きていると往々にして説明のつかないことに巻き込まれる。
2016年02月08日
あるものとないもの
○○をしたい!という気持ちがないわけではない。ただお金と時間と心の余裕がない…。