2016年02月04日
止められない衝動
思い付いてしまったことは『絶対にウケない、必ずスベる、白い目で見られるに違いない!』という実につまらないバカバカしいことでも、つい口に出してしまわずにはいられない「あの止められない衝動」はどこから来るのだろうか…。
琉球の歴史
日本の歴史で一番好きな時代が『南北朝〜室町時代まで』で、どんなに広げてみても戦国時代までしか興味がないように、琉球の歴史も基本的には第一尚氏までしか興味がない。みんながよく知っているいわゆる第二尚氏にはほとんど興味が湧かない。意図的にそーしてるわけじゃないのだが、生まれながら他人とは相容れない何かを持って生まれたのだろうか…。滝とか国分寺跡巡りとかもマニアックな世界だし…。
ホームページの更新
最近ホームページの更新にハマっている。過去の例をかんがみるとひとたびホームページの更新にハマると家に入り浸りになり、外に出るのがおっくうな引きこもりになるからほどほどにしないとな…。
琉球にも元寇(蒙古襲来)があった?
琉球にも元寇(蒙古襲来)があり、英祖王が撃退したという説がある。
これは中国の正史である「元史」の211巻に1292年と1297年に『瑠求』に武力侵攻して撤退したと書き残されているためである。
ちなみに琉球には同時代の文献資料などは残されていないが、後世(第二尚氏時代)に作られた琉球の正史である「中山世譜(1700年代に完成)」には英祖王が蒙古軍を撃退したということが確かに記されている。
但し、この「元史」に出てくる「瑠求」が現在の琉球なのか台湾なのかについては諸説ある。また「中山世譜」の記述についても「元史」の記述を参考にして書かれたもので史実ではないとの説もあり、真相は不明としかいいようがない。
これは中国の正史である「元史」の211巻に1292年と1297年に『瑠求』に武力侵攻して撤退したと書き残されているためである。
ちなみに琉球には同時代の文献資料などは残されていないが、後世(第二尚氏時代)に作られた琉球の正史である「中山世譜(1700年代に完成)」には英祖王が蒙古軍を撃退したということが確かに記されている。
但し、この「元史」に出てくる「瑠求」が現在の琉球なのか台湾なのかについては諸説ある。また「中山世譜」の記述についても「元史」の記述を参考にして書かれたもので史実ではないとの説もあり、真相は不明としかいいようがない。