普通は興味を持っても深く掘り下げることはなかなかできないのが現実で、ましてや究めるなんて夢のまた夢のはずだと思います。
ところが私の場合、ウソみたいな話ですが、色々なことを究めてしまいました。
何を生意気なことを!と思われるかもしれませんが、私の言うそれ(究めた)は勉強して知識を深めて学問的に究めた!というものとは違います。
私の『究め方』は興味を持ったものについては全部訪ねて自分の目で見て感じて実際に体験するというものです。
例えば日本には17体の即身仏が現存しています。私が一番始めに究めた(全部訪ねた)のは即身仏でした。
続いて日本全国に22基ある江戸時代以前に造られた五重塔をすべて訪ねて究めました。
その次は律令制度下における旧国(68ヶ国)にあるすべての一之宮を訪ねて究めました。
滝や棚田にも興味を持ちました。これらは数限りなくあり、キリがないものですが『百選』というものが選ばれているので私はその百選をすべて訪ねることにより滝も棚田も究めました。
他にも日本全国の三重塔と国分寺跡もすべて訪ねて究めました。
こういうこと(究めた!)を書くと『お前ごときが究めたとはおこがましい』というようなことをおっしゃられる方もいると思いますが、私の究め方は『全部訪ねる』という手法であり、そういう意味では紛れもなく究め(全部訪ね)たのは事実です。
この他にも興味を持ったものはできる限り一つ残らず訪ねるのが今でも私のスタンスです。
が、本来であれば一生を掛けたとしてもこれらのもの(即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡)を一つだけでも全部訪ねるというのはかなり至難の技であるはずです。
それを成し遂げるためには当然ながら尋常じゃない狂気じみたことを少なからずしてきました。効率を求めて車中泊をするなんていうのは序の口で私が趣味を究めるために実践したことは親しかった友人・知人も含めて可能な限りというか、徹底して『人付き合いはしない』というものです。
人付き合いに使う時間と労力とお金があるくらいならとすべて旅に費やしていったのです。
そして色々なことを究めていったわけですが、一つ大きな誤算がありました。
こうして色々なことを究めていけば『いつか人に認められて道が自ずと開けるんじゃないか』そして『実益を得ることができるようになるんじゃないか』と漠然と思っていたものの、実際にはそうではなかったことです。
結局、色々なことを究めたところで、それは単なる自己満足で自尊心は大いに満たされるものの、実益は何もないというのが現実でした。
しかしながら、いつか道が開けると思っていた私は一生を掛けていずれ全部訪ねたいと思っていた即身仏・五重塔・三重塔・一之宮・滝百選・棚田百選・国分寺跡を30代にして全部訪ね終えてしまいました。
これまでの体験からすべて訪ね終えるということは私からしてみれば『その日から趣味が、そしてかけがえのない生き甲斐が目の前から消えてなくなる』ということです。
それでもまだ次から次へと興味を持てるものがあった30代の頃はよかったのですが、40代になった今、かつてのように究めたい=全部訪ねたいと思うものはありません。完全な燃え尽き症候群の抜け殻です。気力・体力・好奇心も確実に落ちてきています。
が、人付き合いを否定して、他の人と違うことを『自分の唯一の価値観』として、普通に生きることを軽蔑し、バカにして今日に至った私が今さら普通の人生を歩むことはもはやできません。
でも今のまま生きていても活路が見出だせるとは思えません。やらかしました。きっと孤独死・無縁死をするのでしょう。おそらく長生きすればするほど惨めな人生になることと思います。まー、散々不摂生をしてきたので長生きできるとは思えませんが。
いずれにしてもやらかしてしまった。もう後戻りも普通の人生を歩むこともできない…。
本当は『普通に生きて、普通に結婚して、普通に死んでいきたかったな…』
というようなことをお風呂に入ってずっと考えてた。おしまい。