2015年10月02日

隠岐島

4〜5年前?の年末年始で隠岐島を訪ねた。訪ねようと思って調べてみて「初めて」隠岐島には島前と島後があり、さらに島前は西ノ島、中ノ島、知夫里島と3島に分かれていることを知った。

島後には滝百選の壇鏡の滝、隠岐国一之宮である水若酢神社、国分寺跡がある。

中ノ島には隠岐に流された後鳥羽上皇関連の史跡がある。

西ノ島には後醍醐天皇が隠岐に流された際の史跡や隠岐国一之宮の由良比女神社がある。どれも無視できない。

そこで、知夫里島だけはスルーするかと思っていたところ、何と知夫里島には隠岐に流された後醍醐天皇の末裔である『教尊の墓』があることを知った。

全国の南北朝時代の史跡巡りをライフワークとしていたものとして、これは知夫里島をスルーするどころか『メイン』で訪ねなければなるまいという状況になった。

が、その年は何十年振りかの大雪となり海は荒れに荒れ、フェリーの欠航が続き、オレは最初に訪ねた島後に3日間も閉じ込められた。途方に暮れ困り果てたオレは思いがけず隠岐島でたくさんの人のやさしさに触れることができた♪

その後、ようやくフェリーが動き出し、中ノ島→西ノ島→知夫里島と訪ねた。知夫里島を訪ねたのは予定よりも3日遅れだった。

実はこの時、宿を取っていたのは知夫里島だけで民宿江田荘というところに泊まった。

江田荘は御主人を早くに亡くし、知夫里島からは出たことがないという80歳を越えたおばあちゃんが1人で切り盛りしている民宿で、オレはその江田さんと夜遅くまで話し込んだ。ご子息は埼玉県に住んでいるといっていた。また、必ず知夫里島を訪ねて江田荘に泊まりますと約束して島をあとにした。

その後、風の噂で江田さんが体を悪くされ、現在は埼玉県の特別養護老人ホームにいるということを聞いた。

そして、昨日、江田さんがいらっしゃるという老人ホームを訪ねたところ、もう足がすっかり悪くなって自分では動くこともままならないものの『頭はしっかりしている』江田さんと再会して色々と話をした。

江田さんはまさかの再会に感無量になったのかずっと泣いておられた。

生まれ育ってみんなが顔見知りだった島を離れなければいけなかった無念。息子夫婦や孫たち以外には誰も知ってる人がいない馴れない大都会での生活。色々な想いが伝わってきた。

また、必ず来ようと思った。 
【関連する記事】
posted by しゃけ at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック