20代の頃、仕事の関係で4年半仙台に住むことになりました。その時にせっかく東北に住むことになったのだから東北の隅々まで探検をすることとし、史跡という史跡を・・・、お城というお城を・・・、お墓というお墓を・・・、 そして神社仏閣を巡り歩くこととしました。
しかし、仙台に引越してきてから何年か経ったある日、せっかく温泉天国といわれる東北に転勤してきたのに温泉にまったく行くこともなくこのまま横須賀に帰ることになったら、お前は一体何しに東北に行ったんだ?と言われるんじゃないかと思い、試しに温泉にでも行ってみるかと思い立ち、日帰りで 「吹上温泉(峯雲閣)」と「川原毛大湯滝」と「須川温泉(栗駒山荘)」の3つの温泉のハシゴをしました。これ以降、私は泥沼のように温泉にハマルことになりました。その後、私は何百湯もの温泉に入りましたが、今、振り返って冷静に考えてみても上記3つの温泉はお薦め度5つ星の本当にいい温泉です♪
そうは言っても基本は『歴史オタクの墓マニア』であることには変わりなく。しかしここでも大きな間違いをすることになってしまいました。
実は私は長いこと歴史好きな人は、きっと歴史的人物のお墓巡りも「大好きに違いない」と信じて疑っていなかったのです。
が、今にして思えば、これは「そうであってほしい」という私の希望的観測という妄想に基づく一方的な思い込みであり、大変な勘違いであったのである…。
そして、仮に歴史好きで史跡巡りが大好きな人だとしても「必ずしも」お墓巡りが好きだとは限らないという「極めて重大な事実」を私は不覚にも「ずっと」「本当に」気付かなかったのである。
が…、気付いた時には既に手遅れだった。私の旅仲間はいつの間にか一人減り、二人減り…、その内、兼ねてから歴史が好きだと高言して憚らなかった仲間達からもお前のお墓好きには付き合いきれない、お墓の何がいいのかわからない、なぜお墓巡りが旅のメインになるのだ?喜々としてお墓に行く気持ちがどーしても理解できないなどと酷評される日々が続き…。
結局、私はこのままではいかん!仲間や友人が一人もいなくなってしまう!と一念発起し、生きるために趣味の幅を広げようと思い、温泉巡り以外にも、即身仏巡り、滝巡り、仏塔巡り、一之宮巡り、棚田巡り、国分寺跡巡りなど色々なことに手を染めて、手を広げていった。そのためどれもイマイチ中途半端な状態に…。
たまーに、もしあの時、人にどー思われよーと、周りの目など気にせず、自分の好きなことだけに突き進んでいけば、今頃大成していたのでは・・・と思わないでもない。
結局、旅も誰かと一緒に行動することの非効率に気付き、結果的には一人旅をするスタイルになったわけだし。
ということで20代の頃は誰もがドン引きして『あいつは頭のおかしい墓マニア』と言われていたのに、今では何が趣味の人なのかよくわからないブレブレの『一途になれない、一筋になれない』キャラ設定の定まらない残念な人になってしまった。